2021年1月に楽天と2年契約を結んで日本に戻ってきた田中将大さん。
契約年棒は球界史上最高額となる9億円!+出来高払い。
今年の成績は以前に日本でプレーしていたころのような圧倒的なパフォーマンスとはイメージが変わってしまいましたが、スキルは成熟している。と評価されています。
そんな、田中将大さんの子供時代てどうだったのか、気になって調査してみました。
田中将大の野球の原点

田中将大さんが野球を始めたのは小学1年生の時。
兵庫県伊丹市の野球チーム「昆陽里(こやのさと)タイガース」の練習を見学に行った時、バットを持たせてもらったのが最初です。
野球なんてしたことなかったのに、見事なミートを見せて周囲を驚かせた田中将大さん。
こうしていきなり「打撃センス」を買われた田中さんは、昆陽里(こやのさと)タイガースで4番に座り続けたのでした。
しかし、当時はキャッチャー担当でした。
この時期に同じチームで投手を務めていたのが、巨人で活躍して侍ジャパンで一緒に活躍した坂本勇人さんです。
元はセンスというか、才能があったんですねぇ。
田中将大さんの中学時代
中学になると、地元の宝塚ボーイズに入団します。
「宝塚ボーイズに入っていなかったら、今の自分はいないと思う」
と田中さんがインタビューで話すほど、ここでの経験が大きなターニングポイントになっていたようです。
恩師は「イチローの恋人」?
恩師・奥村幸治さんは宝塚ボーイズの監督でした。
奥村監督は、プロを目指しながらオリックス・阪神・西部で打撃投手を務めていたそうです。
オリックス時代にはイチローの専属打撃投手を務めていたので、「イチローの恋人」とマスコミに報道されていました。
長い間一流ピロ選手の打撃投手を務めてきた奥村監督は
『技術以上に「意識の持ち方・状況判断」といった頭を使う事』を田中将大さんに指導しました。
伝家の宝刀・スライダー誕生!
2001年中学に入った田中さんは
- 肩の強さと肩周りが良かった
- キャッチャーとしては俊敏さが足りてない
ということで、ピッチャーに転向しました。
元々あるセンスで投手として適性を発揮。
コントロールも良く、変化球もすぐ習得したようです。
- 金属バットは当たってしまうとヒットの可能性が高い
- 空振りが取れるボールが欲しい
そして中学2年生の時から取り組み始めた投げ方が後の
「消える」と称されたスライダーになっていきます。
そうとう練習されたと思います。熱い想いでつづけた日々の練習がのちの宝刀へと繋がる。
こちらも熱い気持ちになりますね。
中学は無名だった
チームの中では中心人物だった田中将大さん。
でも、地区大会では決勝でいつも敗退して全国に行くことはなかったようです。
当時、同期で全国大会にも出場し注目を集めていたのが
PL学園から広島カープ、そして現在MLBのミネソタ・ツインズに所属の前田健太さんや、
阪神の二軍にいて退団後パナソニックに入社、2014年に引退を発表した橋本良平さんのようです。
試合運営の補助員をしながら、「自分も絶対やれた」という自信を持ちつけていたとか。
メンタル強いですね。こういう精神力が「怪物」と呼ばれた田中さんと生んだんだと思います。
あと、15歳という最年少でドラフト指名された辻本賢人さんとは同じ野球チームでチームメイトだった時期があるそうです。
周りに、プロ入りするような人、恩師がいたからこそ、今の田中さんがいることを改めて感じました。
高校生時代の田中将大
高校は、兵庫から北海道の駒大苫小牧高校へ進学。
1年生からベンチ入りを果たし、2年生の時は甲子園で主戦投手の1人として大会2連覇に貢献。
秋の国体、神宮大会でも優勝して「高校三冠」を達成。
高校3年生の最後の甲子園。
2006年。田中さん高校3年生の最後の甲子園。
当時「ハンカチ王子」と持て囃された斎藤佑樹がいた早稲田実業との決勝戦。
引き分け再試合の末に敗れてしまいます。今でも名勝負と語り継がれている試合です。
しかし、大会直前の腸炎による発熱と下痢に苦しんでいた最悪の体調だったにもかかわらず、準決勝まで勝ち進んだ精神力は
「苦しい時でも試合は作るものだ」
というエースとしての心意気を心の奥まで沁みついている感じが伝わってきますね。
この年は本当に斎藤佑樹選手と田中将大選手が投手として人気を2分していて、進学はどうするのか?ドラフト受けるのか?と連日話題になっていました。
ドラフト前の様子
ドラフト前に、斎藤佑樹が大学進学を決め、田中さんは最重要選手として注目を集めることになりました。
その直前のコメントでメジャーの事を聞かれた時
「ニューヨークとかアメリカは怖いイメージがあるので・・」
と言われています。
この時、もしかしたら、メジャーといえばニューヨーク・ヤンキーズという頭があったのかもしれないですね。
良い報道の一方で「本当の実力は?」といった報道もかなりありました。
その中で「大学やプロだったらダメなんじゃないかな」といった選手がいました。
この選手は、同じくドラフト候補として注目を集めていた
大学生・社会人ドラフトで指名を受け現在ヤクルトに所属している嶋基宏さん。
このあと、楽天イーグルスに指名され、田中さんとバッテリーを組んで、最下位の楽天を優勝に導くことになりました。
しゅのんの総評
田中将大さんのプロになるまでの、経緯を紹介しました。
無骨な努力家、というイメージでしたが天才肌だったのですね。
すごい成績を収めていてもマウントとらず、無骨な感じが好きですね。
最後まで読んでいただき、有難うございました。