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「モネの庭」がなぜ北川村に?《庭師》川上裕とフランスの縁

こんにちわ。しゅのんです。

高知県北川村にある「モネの庭」モルマッタン。

北フランスのジベルニーにある「モネの庭」から名称使用を許された世界で雄一の場所です。

どうして、北川村だったのか。そこには川上裕さん以外にも素晴らしい縁とこの壮大なる計画に奔走した人物がいました。

今回は、奔走した村の職員さん。そして庭師川上裕さんとフランスの庭師ジルベール・ヴァエ氏の縁を調べてみました。

企画の頓挫

バブルの時期、第3セクターの開発が盛んだったころ、北川村でも特産のゆずを使って、消費の拡大と地元の人が働く場所を創る意味もあり『ユズワインのワイナリー』誘致を計画していました。

まもなくバブル崩壊。そして誘致も頓挫してしまいます。

開発中の土地だけが残った中、地域つくりのアドバイザーの案で

ワイン⇒フランス⇒フランス文化⇒芸術⇒日本人に親しまれている印象派画家⇒ジヴェルニーにある画家クロード・モネの庭  へと発想が広がりました。

モネは浮世絵を愛する親日家。生前にも日本人との交流もあったことがわかってにわかにこの案が現実味を帯びてきました。

渡仏

「実際、観てこなければ話にならない」と決断したのはし当時北川村助役の大寺正芳さんだったそうです。大寺さんは、村長になり、今は退職されています。

そして実際渡仏したのは、村の総務課員だった上村誠さんでした。上村さんは現在北川村の村長をされています。

当事34歳。北川村生まれで、近畿大学経済学部に進み、一時は海外での仕事を夢みていました。お父さんに相談したら「役場の試験を受けてダメだったら良い」と言われて受験したら受かって村に採用されてしまい、海外の仕事は諦めていました。

渡仏した上村さんは、ジヴェルニーの「モネの庭」の門をたたきました。

最初は北川村が過疎で多くの負債を抱えていることを説明してお願いしました。

でも門前払いをされてしまったそうです。「他の庭を紹介しますよ」と断られて、頭の中は真っ白。

ここであきらめなかったのは、先見の目があったのでしょうか。

短い滞在期間を使って時間の許す限り何度もモネの庭を訪れたそうです。

そのうえで「この庭を肌で感じ、本当に感動した。気に入ったので、日本で再現したい」と協力をお願いしたそうです。

その話を聞いたモネの庭の庭師をしていたジルベール・ヴァエ氏から協力の承諾を得ることが出来たんだそうです。

そしてヴァエ氏は自分で描き上げたモネの庭の図面を渡して造成のコツを伝授してくれたそうです。

図面を渡されるなんて、その上親身に助言してくれる所は、職人の血がそうさせたんだと思います。ヴァエ氏もまたモネの庭をプライドを持って管理されている方だとわかりますね。

フランスにある、本家本元のモネの庭はこちら

ジヴェルニー モネの庭 公式ホームページ

ヴァエ氏の協力でモネ財団からも許可をいただき、1998年にはヴァエ氏が日本を訪れ、整備中の庭に対するアドバイスや講習、などをしてくださいました。

「小高い丘から見渡せる太平洋、川、周りの自然もすばらしい。庭というものも限りなく時間を要し、歳月をかけて育てなければなりません。頑張りなさい」

出典:「モネの庭」 モルマッタン 公式Pより

そして、1999年当時の寺尾幸次村長が訪仏し。モルマッタン美術館館長、そしてフランス芸術アカデミーの書記長に面会し【モネの庭】と【モルマッタン】の名を冠することを許されることとなりました。

そして、2000年4月 世界で2つめの「モネの庭」が開園したそうです。

上村誠村長は大学時代にブラスバンド部の海外遠征でフランスをおとずれたことがあるそうです。

過疎の村に就職した自分が、あこがれた海外、しかもフランスにかかわるとは思っていなかったそうです。

モネの庭は「植物園」というより「美術館」です。モネが生涯かけて造成した作品を観に北川村に足を運んでほしい」と呼び掛けてます。

しゅのんの総評

ワイナリーだったら、モネの庭はなかったんですね。縁て不思議ですね。

これだけの広大な庭を管理していくのは、村の財政的にも大変だとおもいます。それでも、20周年を迎えました。素晴らしいですね。

今後も「モネの庭」が続いていけるように、切に願います。